たかがカメラ、されど写真

日々のあれこれ /// 当ブログは不定期更新です

"広重 名所江戸百景"を巡る旅 #9

今回は「日本橋」をお届けします。


-No.43 日本橋江戸ばし (左)
-No.8 する賀てふ (中)
-No.44 日本橋通一丁目略図 (右)


まずは No.43 日本橋江戸ばし (左)から始めます。

広重の絵では、日本橋から江戸橋を眺めた構図になります。
下を流れるのは日本橋川ですが、高度成長期時代に
建設が進められた (東京オリンピックのためですが)、
首都高速がほぼ全域に覆いかぶさってしまいました。

当時の江戸橋は現在のそれとは異なり、もっと離れた位置に
あったと思われます。


五街道の起点であった日本橋は、今も道路元標として設定されています。


続いて No.8 する賀てふ (中) です。

駿河町からの富士の眺めは絶景であったとか。
通りの両側にかかる暖簾は「越後屋呉服店(現:三越百貨店)」のもの。
要するに一等地での商売であったということですね。


次は No.44 日本橋通一丁目略図 (右) です。

日本橋通とは、日本橋から東海道にかけて最初の四丁のことで、
江戸の商業の中心的存在でありました。
右手に架かる暖簾は、「白木屋」のもの。
当時の三大呉服店 (越後屋、大丸、白木屋) の一つでした、

現在この場所には東急百貨店のあとに「コレド日本橋」へと
移り変わっています。


今回は一気に5枚の絵をいっちゃいます。

-No.45 鎧の渡し小網町 (左)
-No.63 八ツ見乃はし (右)


No.45 鎧の渡し小網町 (左)ですが、当時渡しがあった地に
鎧橋(よろいばし)が架けられたのは明治初期のこと。

「鎧の渡し」は、日本橋川を挟んだ小網町と茅場町とを
つないでいたわけですね。
船着き場の当時の賑わいが絵から見てとれます。

現在ではこんなに殺風景で味気ないものに・・・。


最後に、No.63 八ツ見乃はし (右) です。

西に銭瓶橋(せにがめばし)と道三橋、
東に日本橋と江戸橋、北に常盤橋、
南に呉服橋と鍛冶橋、そして己が立つ位置に一石橋、
合わせて八ツ見の橋というわけです。

広重の絵では、道三堀に架かる銭瓶橋、江戸城
そして富士山が見えます。

現在では同じような絵を撮るのは無理、
一石橋辺りから呉服橋方面を見ることで代わりとしました。


さてお昼ごはんですが、日本橋宝町一丁目辺りの日本食店にて
「お刺身定食」をいただきました。


そして、日本橋でのお土産は創業元禄元年である老舗、
「神茂(かんも)」さんの「手取りはんぺん」です。




各々の写真は、クリックしていただくと多少大きめのものが見れます。

今回も最後まで見ていただきありがとうございました。
では次回をお楽しみに。


LEICA M8.2 / Summicron-M 35mm f2(8 elements),
OLYMPUS STYLUS1

"広重 名所江戸百景"を巡る旅 #9
"広重 名所江戸百景"を巡る旅 #8
"広重 名所江戸百景"を巡る旅 #7
"広重 名所江戸百景"を巡る旅 #6
"広重 名所江戸百景"を巡る旅 #5
"広重 名所江戸百景"を巡る旅 #4
"広重 名所江戸百景"を巡る旅 #3.2
"広重 名所江戸百景"を巡る旅 #3.1
"広重 名所江戸百景"を巡る旅 #2
"広重 名所江戸百景"を巡る旅 #1

記事一覧