たかがカメラ、されど写真

日々のあれこれ /// 当ブログは不定期更新です

「あいうえお」を巡る旅 #29

「へ」 平和台(へいわだい) :千葉県流山市平和台

第29回「ヘ」のスタートは、流鉄流山線平和台駅前からです。
今回は早々に番地を確認しておきます。

それは何故かと申しますと、旅さんぽで平和台と云う番地は、
もうこの後全く出てこないからです・・・スミマセン。
線路を渡るともうそこは「流山9丁目」・・・・・ですw。

駅前のイトーヨーカ堂横を一気に江戸川まで歩きます。
川の渡し跡を示す碑などがありますが、その面影は全くありません。

川沿いの堤防を少し歩きます。

江戸川から離れ、まずは赤城神社へとやってきました。
ここは上州(群馬)赤城山が崩れてここへ流れ着いたという
高さ10mほどの小山の上に社が建てられています。

この話が「流山(ながれやま)」という地名伝説というわけです。
この地は江戸川沿いということもあり、江戸から明治・大正にかけて
商業の町として栄えてきました。

見事なしめ縄 〜 出雲のそれには到底かないませんが(笑)。

神社のお隣には、光明院というお寺があります。
俳人 小林一茶ゆかりの寺、そして幕末の新撰組分宿の寺としても
知られているそうです。

少し離れて一茶双樹記念館・・・入館料が必要です(笑)。
字が多いですが、説明書きを読んでください。

近くに低く控えめな鳥居のある寺田稲荷神社。
屈まないと縄に頭が触れます。

いわゆる町のよろずやさんですが、支店ってことは
どこかに本店があるのでしょうか・・・?

気を付けていないと通り過ぎてしまいそうな庚申塔です。
きちんといわれ書きもありますが、読みづらい。

庚申塔を過ぎて右へ曲がり、流山街道へと出ました。
ここは"流山キッコーマン"の工場があります。
キッコーマンと云えばお醤油ですが、ここは老舗である
万上(マンジョウ)=本みりんの地だったのです。
歴史をお知りになりたい方は こちら をご覧ください。

簡単に云えば、買収されたけれどブランド名は残っているということ。
この工場は残念ながら一般見学を行っておりません。
この辺りの番地は流山三丁目ですね。

流山キッコーマン工場塀を背に、ここにも庚申塔があります。
説明書きもあってわかりやすいです。

一流の仕立て屋さんの証ですね。
トロフィーらしきものが倒れているような・・・。

三面犬のように見えます。

新撰組局長 近藤勇陣屋跡です。あくまで跡地なので、
背後にある建物は関係ないようです。

しかし、この幟はチトゆるすぎませんかね。

お隣は閻魔堂です。お堂といっても、普通のお宅のようです。
オリジナルは焼けちゃったんでしょうかね。
鍵がかかっていて入れなかったので、ガラス越しの絵です。

横塀にはユニークな求人広告がありました。

江戸川に近い通りへと進みます。
この通りには古い建屋が幾つか残っています。

まずは"見世蔵"さんから。
現在は"万華鏡ギャラリー"として使用されています。
流山市内在住の世界的万華鏡作家である中里保子さんの
作品などを展示したギャラリーとなっています。
中里さんは世界グランプリを4度も獲られた方だそうです。

ギャラリー内は撮影禁止なのでお見せできませんが、
日本人ならではの繊細で雅なデザインセンスが際立つ作品群には、
時間が経つのを忘れてしまうほどでした。

一番お求めやすい作品(笑)を買いました。

お向かいは和菓子の清水屋本店さん、ここでもお土産を買いました。

丁子屋さん、ここはイタメシやさんとして使われています。
"ちょうじや"という名称は、前回 にも出てきましたね。

こちらは"新川屋呉服店"さんです。

こちらは"ましや"さん、呉服・和装小物を扱っています。

美濃和紙を使った照明のお店、"彩(いろどり)"さん。

何だか面白い番地 〜 "加(か)"だそうです。

再び流山街道を戻っていきますが、番地名は流山二丁目あたりです。
幾つか目に着いたものを出しますね。

ここでお昼ごはんとしました。茶豆蘭〜"ちゃずらん"と読みます。
いただいたのは日替わりランチ(850円)、コーヒー付きです。

さて、旅のゴールは流鉄流山線の終点駅でもある"流山駅"です。
実は「な」の旅を選ぶ際、流山は候補の一つでした。

旅さんぽ途中で買ったものをお見せして、
#29の回を終えたいと思います。



各々の写真は、クリックしていただくと多少大きめのものが見れます。



次回は 「ほ」です。

今回も最後まで見ていただきありがとうございます。
では次回をお楽しみに・・・(続く)。



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