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"広重 名所江戸百景"を巡る旅 #36

今回は「浅草〜その4」をお届けします(浅草〜その3)。


-No.91 猿わか町よるの景 (左)
-No.101 よし原日本堤 (右)


No.91 猿わか町よるの景 (左)から始めます。

猿若町とは現在の浅草六丁目辺りとされています。
芝居小屋や茶屋が立ち並び、大繁盛していたらしい。
現在ではその賑わいは"浅草六区"へと移ったと言えます。

浅草観音堂裏手から今回の旅はスタート。
浅草六丁目を目指して歩きます。程なくして正面には
浅間神社が見えてきました。

神社前を右に曲がり、しばらく歩くと浅草六丁目辺りです。
が、広重の絵のような賑わいは既になくて静かな住宅街へと
様変わりしてしまいました。

雰囲気のあるお屋敷を入れ、絵の代わりとしました。



続いて No.101 よし原日本堤 (右)です。

"吉原"は言わずと知れた江戸幕府公認の遊郭の町のこと。
"日本堤"とは、その吉原からほど近い場所にあった土手であり、
元は度重なる荒川の洪水から下谷、浅草などの低地帯を守るために
浅草聖天町から三ノ輪町にかけて築いた1.5Kmの堤 = 土手のこと。
この土手道は吉原への入口である"吉原大門"へと続くもの。

何故 "日本堤" と呼ばれたかですが、元は奥州街道にある堤とあわせて
"二本堤" と称されていたものが、吉原への通い道が "日本堤"と呼ばれる
ようになったためらしい。

途中にあった洋食店さん、街の洋食店は大好きなので
開いていれば入ったのですが、準備中・・・。

商店街を抜けます 〜 結構大きな商店街でした。

今は川も堤も埋め立てられ、面影は全く残っていませんが
架かっていたであろう橋の名残りがあります。

"日本堤"という名が今も使われています。

細長く作られた公園が、どことなく堤を想像させるので、
これを広重の絵の代わりとしました。




今回も最後まで見ていただきありがとうございました。
では次回をお楽しみに。


LEICA M9 / Summicron-M 35mm f2(8 elements)


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