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"広重 名所江戸百景"を巡る旅 #26

今回は「木場」をお届けします。

広重の絵ではどちらも雪景色、訪問した日は昨夜からの雪で
一面雪で覆われているはず・・・でしたが予報ハズレでがっかり。

なので、アタマのなかで雪を想像してください(苦笑)。

-No.107 深川木場 (左)
-No.108 深川州崎十万坪 (右)


まずは No.108 深川州崎十万坪 (右) です。
広重の絵の大胆な構図には息を呑む素晴らしさがありますね。

話を明暦元年(西暦1655年)に戻します。
幕府は江戸の町から大量に出るゴミ問題に悩んでいました。
そこで深川辺りの永代浦にゴミ捨て場 = 埋立地を考案します。
西暦1700年代の後半には、埋立地は38万坪相当にまで及びました。
これを機に深川は一層の発展を遂げます。

"洲崎"もその一部であり、潮干狩りや舟遊び、初日の出の名所など
多くの賑わいを見せた場所として名を馳せます。

ところが寛政3年(西暦1791年)の台風により、壊滅的な被害を受けます。
幕府はこの一帯に住むことを禁じ、波除碑を建立します。
ここにあった洲崎弁天社は洲崎神社と名を変え、現在の木場6丁目へ再建され
同じく波除碑も神社内に保存されました。

前置きが長くなりましたが、現在の洲崎界隈は広重の絵とは全く異なり
当時を偲ぶことは叶いません。なので、現在の洲崎神社を訪ねました。

これが波除碑です。

この梅は皇太子ご成婚の記念樹でしょうかね。


洲崎神社への入口を広重の絵の代わりとしました。



続いて No.107 深川木場 (左) です。

木場とは、その名の通り江戸の材木問屋が集まった場所であり
そのルーツは江戸城築城に多大な材木を必要とし、その置き場などが
必要だったため (木場へ落ち着いたのは元禄14年 = 西暦1701年のこと)。

現在ではどんどん埋め立てられた結果、"新木場" なる地へ移動しました。
当時を思い起こすことが可能な水路は多少残っています。

せめて雪が降れば趣も出たでしょうが、今に残っている水路 = 大横川 を
広重の絵の代わりとしました。


さて、遅めのお昼ご飯をいただきます。
東京メトロ東西線木場駅近くで、蕎麦"柳家"さんにお邪魔しました。

さほど寒い日では無かったので、"天ざる" を頂きました。



各々の写真は、クリックしていただくと多少大きめのものが見れます。



今回も最後まで見ていただきありがとうございました。
では次回をお楽しみに。


LEICA M9 / Summilux-M 35mm f1.4(球面)


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